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「ブラバンキッズ・オデッセイ」

もう15年位前になるのかな?
「ブラバンキッズ・ラプソディ」というエッセイが刊行されました。
私辺りの年齢から上の方で吹奏楽に興味がある方・経験されてた方はご存知かと思いますが、神奈川県立野庭高校吹奏楽部と、そのご指導をされていた中澤忠雄先生の、赴任されてからの10年間を綴った本です。
私はそれを、たぶん大学1年の頃に読んで、電車の中でうっかり涙ぐんで近くに座っていた外国の方に心配そうに覗き込まれたことがありました(笑)。

その「続編」という位置付けのエッセイが、この4月に発売されました。
ブラバンキッズ・オデッセイ
という本で、前回掲載された時期のことも織り込みつつ、その後の野庭高の話・中澤先生がお亡くなりになられた頃の話・卒業生達のその後やOBバンド結成の話などが書かれています。


よその目から見るとあからさまに特異に写っていた野庭高校のブラスの人たちが何故ああだったのか、あの音楽はどうやってできたのか。そういうことの裏側もわかるし、実際に野庭を知らなくても共感できる部分は多く、音楽をやってる方にはとても面白い本だと思います。


ただ。
個人的には、もう少し思い入れのある本になりました。



私が中学3年生の時、音楽の先生の産休代理でいらした先生が、野庭のOGの方でした。20代後半の若い先生で、元気よくて明るくてハキハキしていて豪快な先生でした(ここ本人が読んだら早速クレームつきそうだなぁ・笑)。
トランペットを専攻されてたこともあり、まあ色々あったけど私が先生に懐くまでそんなに時間はかかりませんでした。

前年から諸々問題があって、私が吹奏楽コンクールに出るのは3年の夏が初めてで、そのステージでいきなり金賞を取れたのはその先生が来てくれたおかげだし、その後「ブラスの強い桜丘に行きたい!」と入試1ヶ月前になって突然志望校を変えたのも、先生に「高校に行ってもラッパを続けたい。コンクールに出たい。」と相談した上でのことだったんです。
当時エリート志向の強かった私の父は、志望校の偏差値ランクを実質下げることになった私に「お前の人生はあの先生が変えてしまった」と何度も言ってましたねぇ。懐かしい話ですが。

事実、私は中学であの先生に会わなければ桜丘に行ってなかっただろうし、今もこうしてラッパを吹き続けてるなんてことはなかったと思います。
自分の今までの人生の中で、大きなターニングポイントにひとつだったことには間違いありません。


中学を卒業してからも連絡は取っていて、何回か先生の教える学校へ遊びにいったこともあります。ただ、私が実家を出た後に先生も実家を出て一人暮らしを始めたとのことで、その連絡先をメールで頂いたのですが、その直後にPCが故障…(入院するほどの重症でした…買って1年しか経ってなかったのに)。連絡先を控える間もなく、そのまま何となく疎遠になってしまってました。



その「先生」というのが、今回の本のプロローグ「2005年のエル・カミーノ・レアル」に出てくる先生なんですよ。



本屋さんで見つけたときは真ん中辺りを適当に開いて、先生のお名前をチラリと見つけて「ああ載ってる載ってる」と思って買ったのですが、帰宅してアタマから読んでみたらビックリ!冒頭から先生のお話じゃないですか!
もうびっくり。

ずっとずっと連絡は取りたいと思ってたけど、読み終わったらもう連絡「取らなきゃ!」に気持ちは変わっていて、唯一5~6年前に伺った携帯のメルアドだけが手元にあったので、ダメ元でメールしたところ。



お返事がちゃんと返ってきました。
ああもう、それだけで何だか頑張る活力を頂いた気分です。



気が付いたら私の中学に先生がいらした時の年齢を自分が越えていました(!)。
ああオソロシイ(笑)。
けれど、次はちゃんとお会いして、こんなにでっかくなってしまいましたよ…ということをご報告しないと、ですね。曲がりなりにもまだラッパを吹いているので、それも併せて。



さて、私が「思い入れのある」と思った、もうひとつの理由。
それは、野庭高が吹奏楽コンクールで日本一を取ったこと、翌年のコンクール期間中に中澤先生が亡くなられたこと。この二つは、自分が高校生だった頃にリアルに起きていたことだったからです。

自分が高校2年生の時。
県大会だったか東関東大会だったかで聞いた「ベルキス」は、本当に圧倒的なうまさでした。迫力、というか気迫というか。音の芯の部分から違うな、と思った記憶があります。自分達がテンション的に落ちていたせいもあって、余計にそう感じたのかもしれませんが。
その年、野庭は日本一を取った事は知っていましたが、先生がご病気されていたことは知りませんでした。

翌年。
確か県大会が終わった頃、中澤先生が亡くなった事を聞きました。
その年の野庭高は50人MAXのA編成に35~6人ぐらいで参加していました。音量的にはやはり厳しいけれど、それでも野庭サウンドは他よりアタマ一つ抜けていたんじゃないかと思います。指揮はOBの方のようでしたが、当然県大会も抜けて東関東大会に駒を進めていました。

東関東の出演順は、野庭が1番・私達桜丘は3番でした(たぶん…)。
ステージ裏ですれ違った野庭の皆さんは、全員が喪章をつけ、中澤先生の遺影を持ってステージへと向かいました。その姿は今でも忘れられません。
また、結果発表の時に、ステージ裏で待機していた時にひょんなことから、野庭の代表の方と東海大相模の代表の方とお話する機会がありました。野庭の方は、「どうしても全国に行かなきゃならないんだ」と、直接言ってたのかは忘れてしまいましたが、その気持ちは何をしなくても感じ取れるほど滲み出ていました。
けれど、結果は「ダメ金」止まり。
自分達が銅賞だったショックもありましたが、それとは別に野庭の方の落ちている様子は、本当に何と言っていいやら…。これも忘れられない場面の一つです。



今回この本を読むことで、その内側を知る事が出来、涙が止まりませんでした。
ティッシュをいくつ丸めたか分かりません。





今年は、桜ブラスでのこともあり、今回の本のこともあり、何だかいろいろ過去を振り返る年なのかもしれませんね。それもまたいいかもしれません。

Comment

No title

はじめまして。母校の本の検索をしてたらたどりつきました。
KEYKOさんは、S根先輩に教わったんですね!あの方は昔から変わらない人でしたよ!楽器は違うんですが、夏合宿とか日曜とか、大学の合間を縫っていろんなことを教わりましたよ!

No title

*春の猟犬のときのコンマス様*
こんにちは、初めまして。
コメント頂きましてありがとうございます!

S根先生には本当にいろいろ教わりました。昨年(この日記を書いた後)に久し振りにお会いして、赴任していらっしゃる学校の本番のお手伝いをさせて頂いたんですが、「変わってないなぁ~」と私も思いました。
きっとずーっと、いい意味で「あのまま」なんですね。

…そうそう、たぶんこの日の日記がやはり検索にひっかかりやすいのか、よく野庭高校や中澤先生のお名前で検索された方がいらっしゃいます。
以前ナカザワキネンの練習を見学させて頂いた時も、何の打ち合わせもないのに「WEB上で本を紹介して下さってる~」みたいな紹介をされてしまって、ちょっとびっくりしました(笑)。
結構関係者の方がご覧になってるの、かなぁ…だ、大丈夫でしょうか?(小心者)

No title

KEYKOさん、初めまして。
母校の検索をしていたら辿り着きました。

私は今まで、この様なレスを書いたことはないのですが(このレスを書く前に3時間掛けてレスを書いたのですが、送信方法を間違えすべて消えてしまいました…)KEYKOさんの日記を拝見し、あまりの懐かしさに書かせて頂いています。

私は「ベルキス」の時に弦バスのトップをやらせてもらっていました。
高校2年の時でしたので、KEYKOさんと同じ年ではないかと思います。

そして、まさにKEYKOさんが書かれている3年の東関東大会の結果発表の際
ステージ袖にいたのは私です。部長の男子と私が表彰式に臨んだのです。
私も何となくですが、桜ヶ丘の方とお話したのを覚えていたので、とても懐かしく、また偶然とは言えこの日記に辿り着いたことに驚いています。


でも、もっと驚いたのは私達が全員喪章を付け、先生の遺影を持ってステージに向かったということを自分がまったく記憶にないことです。
当時の自分の精神状態がわかる気がしました。

ご存知の通り、先生は東関東に向けての合宿に出発する前日に亡くなり、
私達は合宿出発の朝にそれを知りました。
音楽室に集められそれを知らされた時、後輩や仲間が泣きじゃくる中涙ひとつ出なかった事をはっきり覚えています。
これから合宿に向かうのに、どうやってみんなの士気を高め、この喪失感を乗り越えるか、そんな事を考えていたことを思い出します。


また私がKEYKOさんに共通点を感じるのが、私は学区外入学でしたがやはり偏差値ランクを下げて受験することに担任の先生や母が反対だった事です。(父は寛大でした)母は練習量が多い上に、通学時間も掛かることで私の体調を心配していたのもあったと思いますが。

私は中学1年の時に、吹奏楽部の顧問の先生がみんなに回した「ブラバンキッズ・ラプソディ」を読み野庭を知り、2年の時に「クリスマスコンサート」に出掛け初めて演奏を聴き、何とも言葉に尽くせない興奮を感じました。音に温度があるのを知ったような気がします。

当時、将来音大に進みたいと思っていた私は、入学を待たずして3年の冬から中澤先生がご自宅で開かれている音楽教室に通い始めました。
晩年はピアノのレッスンも誰もいないリビングで弾き、先生は隣の部屋で横になってらっしゃる状態でしたが最後まで厳しく教えて下さって本当に有難かったです。

そんな私も今は楽器から離れ、ふたりの子供の育児に追われています。
音楽から離れ、日々家事や育児の生活の中でも先生から教えて頂いたことをいつも思います。
先生は全く音楽だけでなく、人間としての在り方や大切な心の持ち方をたくさん教えて下さいました。
高校卒業以来、あんなに真剣に叱ってくださる方は居らず中澤先生の「愛」を日に日に感じたりします。

あまりの懐かしさに長文にて失礼しました。
KEYKOさんのラッパいつか聴きたいです。
頑張って下さい!!

No title

*ベルキスの弦バス様*
こんにちは、初めまして。KEYKOと申します。
コメント頂きまして、ありがとうございます。
大切に大切に書いて下さったコメント、何度も読み返して、今こうしてお返事を書かせて頂いています。

…と書いて、何からお返事していいか、言葉に迷っています…。
あの東関東の表彰式前にご一緒していた方がこうしてブログを見つけてコメント頂けたことに驚き、嬉しい気持ちがいっぱいで…。
と同時に、当事者でいらっしゃった方々が私のこの日記を読んで気を悪くされたりしないか、おこがましいことをしているんじゃないか、と少し不安になる部分もあります。

…全然文章が進まない(笑)。

弦バスさんが書かれていた内容に私自身もまた「ああそうだったなぁ」と思うことがありまして。
私も、実際に桜丘への進学を決めたのは入試直前でしたが、初めて音を聴いたのは中学1年の時、先輩に連れて行ってもらった定期演奏会で、その時の衝撃と感動がなかったら、たぶん押し切ることはなかっただろうな、と思います。吹奏楽って、こんなにヒトのパワーとか想いが集まる音楽なんだなって。
何だか懐かしくなりました。

野庭高校のブラスは、自分にとってはある意味「手の届かないところ」というか、憧れというか、そういう部分が昔あったので、今こうして本を読んだり、ブログを介したり、実際にお会いしたりしてお話を聞けるのはとても嬉しいです。
ましてや、自分と同じ歳で、実際にすれ違っている方からなので、二度目になってしまうのですがすごいなぁって、ホントに驚いています。ワールドワイドウェブ恐るべし。


もちろん、私自身は桜丘の出身であることを強く誇りに、大切に思っていますが、それぞれの学校にいろんな出来事(ドラマ)があって、だけれどそれぞれがひたむきに頑張っていたことは変わらなくて、だからこそ共感できる部分も多いのかな、と思います。
コレを機に、もっといろいろお話できたらいいなぁ、なんて思ってみたり(笑)。


まあそれは置いといて、まずは私のラッパを聴いて頂けるような機会を増やさねば!
何となく今年はのんびりペースになっているので…(コラ)。


コメント、本当にありがとうございました!

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No title

上記コメントにお返事です。
8月9日(土)のイベントは、13時か13時半のどちらかから、約30分のステージです。
品川駅港南口の広場か、インターシティのどこかに、野外ステージを作るそうです。

が、最終的な詳細連絡はボーカルさんのところにもまだ届いていないらしいので、分かり次第このブログのTOPにある「infomation」に載せます!
とても暑い時間で恐縮なのですが、ご来場お待ちしております♪

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